最近知り合いの方が癌で闘病されていて、自分ももしがんになったらどうやって受け止めたらいいのかと想像すると、わからなくて、不安が浮かんでくることがあります。
今日は生理痛があって、余計にそうです。
私は3年前に子宮内膜症で右側の卵巣をとったことがあるので、そういうものが再発したり万が一癌化したりする可能性がほんのちょっとでもあることに、少し怯えています。
その怯えは日常生活に支障を及ぼすほどでは全くないけれど、知り合いや職場の同僚の入院等の話を聞くと、他人事ではないです。
今年は50歳になるので、あとどれくらい人生が残されているのだろうと思う。まだまだ生きたいけれど、いつ癌などの病気になってもおかしくない年齢なんだろうなと思います。
死やがんについての本を読んだりしています。
この本はまだ読んでる途中ではありますが、「がんも自分の一部」「がんと闘わずに共生するという視点もある」といった受け止め方を知り、そうか知らないから怖いんだもっと知ろうと思っています。
まあ、知り尽くすことはできないだろうし、そもそもすべて解明されていないということです。
「がんは、遺伝子の病気なので、一人ひとり本当に違っていて同じじゃない。」という点に、がん細胞も自分の細胞の一部なのだから、究極的にはがん細胞も愛することが出来たら怖くなくなるでしょうか。
この境地まではまだ至っていないけれど、いずれ必ずその時はくるわけで心構えをしておきたいなあと思う。
でもまだまだまだまだ生きたいです。まだもうちょって生にしがみついていたいです。
なので、読むのにあまり身が入らず、ふーんぐらいな感じで読みました。
「睡眠時に室温が高すぎたり低すぎたりして快適じゃないと悪夢を見ることがあるように、死の床もできれば快適な室温であったほうが良い。いい夢を見ながら死んでいく」というところになるほどと感心してしまいました。
あと、他に今読んでいる本。ちょっと前に橘玲さんがブログで紹介されていた。
進化医学から考える「心はなぜ壊れやすいのか?」 – 橘玲 公式BLOG
橘玲さんのブログで概要を知ったせいなのか、ざくざく読んでいる。
不安もうつも、社会性動物である人間が、生きるために進化させた特徴が不適応を起こして支障が出る状態ということか。