自宅療養延長、第二部まで読了『心の進化を解明する』

週が明けた。

もう一度コロナの抗原検査やってみて、またも陽性の反応が出てしまった!ということで、あと二日自宅待機延長させてもらった。

というわけで、時間があるので、この本の読了が見えてきた。

 

やっと第二部まで読了した。

第一部はなんとかついていった(つもり)が、第二部はもうほとんどついていけなくて、参った。

それでもなんとか文章を目で追った。レベルが合ってないんだろうなぁ。

ただ、Amazonのレビューなんかで、「文章や翻訳がまわりくどい、わかりにくい」といった声をちらほら見つけて、ちょっとほっとしたが。

確かに回りくどい文章は多い。「~ということがないと言っているわけではないと想像したわけではないと察する」みたいな感じの言い回しが多い。

しかし、私の読解力が追い付いていないのは確かにあるはず。

 

かのドーキンス先生が提唱した『ミーム - Wikipedia』について沢山語られていた。

ピンカー先生からの引用もいくつかあり、嬉しくなってしまった。(読んだことのある本の著者について触れられていると嬉しいというレベルの私)

 

なんだかんだこの本では、『理解力なき有効性』という言葉が繰り返されているんだが、つまり、「役に立つ原因や理由を理解・意識することなしに、生きるのに役に立つ能力を色々と持っているよね。そしてそれが役に立つという気付きが生まれた時、理解が生まれた後はさらにそれを進化させてきたんだよね」ということを言いたいんだと思った。

 

(以下、第二部最終章より本文を抜粋)

「人間文化の曙の時代、祖先たちは有益なミームたちに宿り場を提供していた。そこで祖先たちが理解していたことは、遺伝的に受け継がれた本能に対する彼らの理解と大差ない〈乏しい〉ものであった。祖先たちは、新たな有能性を獲得するために理解を必要とはしなかったし、新たな有能性を得たことによっても、理解の力が大して増すこともなかった。しかし文化が生じた初期の時期、重要な違いが生まれた。すなわちそれは、文化が産み出したさまざまな〈行動の〉やり方が、〈やり方としてのミームの〉宿主の単一世代内で作り直され、血縁者以外の相手にも伝達され、また誕生時だけでなく、人生全体を通じて獲得できるようになったことに他ならない。」

 

「つまり、素早い学習によって相対的成功を収めた者が現れ、素早い学習の価値が明らかになると、その過程を加速するためのさまざまなやり方が、文化的にも環境的にも進化するようになるのだ。」

 

「彼らが出会う複雑な環境を、それまでよりも素早くかつ正確に見定めることを可能にしてくれる、新たな道具たちであふれかえっているのである。やみくもな試行錯誤ではもはや十分ではない。互角に競争するためには、理解しなければならないのだ。」

 

「文化進化はこれまで、それ自身の産物によって脱ダーウィン化を果たしてきたのだ。しかしそれでも、それらの祖先がダーウィン的なものであったことには明らかな証拠があるのだし、バクテリアが私たちに数の上でも重量の上でも勝っているように、シナントロープ的なミームと作者なきミームたちは、依然として日々私たちを取り囲んでいるのである。」

 

ああ、深いなぁ。

難しいけど、、、いややっぱり難しい。

 

でもついにやっと次は第三部、クライマックスだ。

やったぞ私。なんちゃって。