読んだ。すごい本だ。難しかったけど読んでよかった。
『教養としての認知科学』の最後の章で紹介されていたこの本について、
鈴木先生は「これを読んで痺れた」と書いていた。
(ちなみに届いたときは「分厚いな~時間がかかりそうだな~」と思ったけれど、
最後三分の一くらいは注釈と付録に頁が充てられておりました。
それはまだ読んでいない。)
言語という『究極の人工物』を手にいれたことで
人類はこんなに進歩した(ように見える)
とすると『本』という存在もすごい道具だな。
先日読んだ「暇と退屈の倫理学」でも取り上げられていた
マダニの3つの反応の話が出てきて「こないだ読んだやつ!」と思って
なんか嬉しかった。
私(自己)という確固たる閉じられた存在はなく、つまり『私』という存在はなく。
私の中では数年前に読んでいた原始仏教やマインドフルネスの思想にまた繋がっていく。
ただただ反応し適応しようとし、変化しているってことかな。
もともと持っていた個体の感覚器や神経回路の強弱みたいなものが
出合う環境(世界)に反応し、知性が方向づけられていくことを繰り返す?
個々の脳内だけで思考が形作られるのではなく
常に周りと相互作用しながらみたいな感じか?
実を言うと、感心したり感動したり興味津津となるところが色々あるんだけど
うまく文章化できていない。
この本について書かれたとても参考になるブログを見つけた。
お気らく活字生活 『現れる存在』 アンディ・クラーク NTT出版 (fc2.com)
なるほど、勉強になる。
この方のブログを読み、A・ダマシオ(初めて聞く)、メルロポンティ(やはり初めて聞く。お名前の響きが素敵)やデカルトの本にチャレンジを思いつく。
本の旅は続く。。。